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作家はなぜ病むか

その1:脳内(思考)の解像度が高い

漫画を連載していたころ、ネーム(マンガのストーリー)を考えながら「こりゃ、作家は病むわ」と思ったものだ。

なぜか。

それは、作家の脳内で『自分を取り巻くすべてのものの解像度が上がる』ためだ。

作家は世の事象やその他さまざまな物事、人間ドラマなどを面白く書かなくてはならない。
見る人にとって面白くて興味のあることを書くためには、世の中にある(あるいは想像上のものも含めて)あらゆるもののひとつひとつに対しての理解や解釈、切り口が必要なのだ。

例えば、どこかの公園に木が一本生えていたとする。
ふつうなら「公園に木がある」とか「新緑の時期だから葉っぱが青々しい」「冬だから枯れて枝だけだ」ぐらいの理解だ。
だが、このくらいの捉え方だと面白くもなんともないので
「木材によって色や硬さなどに違いがある。」
「あの葉っぱの形は◯◯◯に似ている。」
「葉っぱの色はグリーンだが、レッドシェイドか、ブルーシェイドか。」
「さまざまなカラーのなかでグリーンは扱いが難しい」
「枝の構造は血管やカミナリに似ている。となると、あの構造は効率よく栄養やエネルギーを伝えるのに適した形なのかもしれない。」
「公園ではなく深海になぜか一本だけ木が生えていたらどうだろう?」
「あの木の下にとんてもないものが埋められていたとしたら」
「◯◯◯という小説にでてきた登場人物は木の下で重要な発見をした。」
・・・
などなど、作家の場合はさまざまに解釈や想像、周辺知識へのリンクを脳内で行う。

ざっくりと物事を捉えずに、細部まで見たり考えたり思考を巡らす。これが解像度が高いという状態だ。
木、花、水、匂い、色、建物、食べ物、人物、ニュース。
生活していて、五感で感じるあらゆるものに対して高解像度での思考が展開する。
無意識に展開することも多く、ある種の『思考の暴走』とも言い換えられると思う。

「そんなにムズカシク考えなくても良いじゃないか」と思うのだが、職業病なのか思考のクセなのか、なかなかコントロールできないのである。
おそらく、いったん脳内の解像度が上がってしまうと簡単には下がらない。

面白いものを書くためには、常に脳内を高解像度にし、より良質なアウトプットのためにさらに解像度を高めていく必要もある。
脳内の思考ブーストは日常化し、拍車を掛けることでアウトプットへとつなげるのである。

気疲れしてしまうのは想像に難くないと思う。

作家が病む要素はいくつかあると思うが、そのうちの一つがこの『脳内の解像度の高さ』なのだ。




・・・・・


自分の経験だが、この『脳内の解像度の高さ』は気づくと起きていた。

まだ連載する前のころ。
担当編集さんに漫画を持ち込んで、打ち合わせをしてはボツを食らっていたころには、この現象はほとんどなかったように記憶している。

ストーリーを勉強したり、編集さんと打ち合わせを重ねて、ようやく漫画の描き方がわかってきたと同時に脳内の解像度が飛躍的に上がった。
物事の捉え方が変わったというか、思考がいろいろとリンクするようになったのだ。
それ以前は、編集さんや他の連載作家さんの言っていることがうまく理解できていないことが多かったが(自分の漫画へのアドバイスなど)、『高解像度』以降は理解できるようにもなった。彼らの思考に追いついたのではないかと思う。

やっと人前に出せる漫画が描けるようになった副産物が『高解像度な脳(思考)』であった。

そんなわけで、漫画を描いているときには『高解像度な思考疲れ』にけっこう悩まされた。
次々に思考が出てきて他人に話しつづけたり、眠れなかったり。
(もちろん個人差はあると思う。)

『健全な文章は健全な身体に宿る』
とはよく言ったもので、脳内の異常な解像感を感じるたびに、やはり良質なアウトプットを継続するためには身体のメンテナンスは必要だと痛感した。
病まない(=思考疲れしない・思考を制御する)ためには工夫が必要なのである。

漫画を描いているときには毎日のように散歩をしたが(身体を動かせるし、歩いていると良いアイデアが浮かんでくるメリットもある)、いまでも散歩は好きで天気が良い日はよく歩いている。


その2につづく


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